犬猿の仲

私は朝に新聞を読む。その日の朝刊はもちろんだが昨日の夕刊も読む。むしろ夕刊を中心に読む。夕刊に掲載されている伊坂幸太郎の連載小説『SOSの猿』を読んでいるからだ。

新聞の連載小説はイライラする。一日の量が少ない。まるで速度の出ない回線で動画を見ているようだ。量が少ないので話の流れをすぐ忘れてしまう。だから私は夕刊を保管している。土日の朝などは通しで読んだりする。

ところで先日も書いたように母は先週末から旅行に出ている。その間の家のことは私と父でしている。炊事・洗濯・犬の世話などだ。犬の世話はやっかいだ。

我が家には犬が居る。何年か前に妹の強い要望で飼いはじめた。「絶対に世話をする」妹はそう言った。私は猛反対した。家族で唯一の反対者になった。私が反対したのは結果の予想があまりに容易だったからだ。私は「妹が世話をしなくなっても俺は絶対に世話をしないからな」と宣言した。どちらの「絶対」も成立しなかった。予想だけが当たった。

今朝も夕刊を読む。物語の主人公がエクソシストだとおばさんに説明している。前回までの会話をすこし読み返そうとして異変に気づく。私の保管しておいた夕刊が連続していない。10月8日の夕刊がない。朝刊の山に紛れていないか調べる。ない。

まさか。私は犬のところに置いてある新聞を見る。日付欄を確認する。夕刊。10月8日。

目覚めてから悪夢を見るとは思わなかった。私の夕刊は犬の糞便でベタベタになっている。もう駄目だ。母は私が夕刊を集めているのを知っているから当然のように朝刊を使う。夕刊は使わない。しかし父は違う。新聞であれば同じだと思っている。父はさも当然のように私の夕刊を犬の糞のために使った。私のよけてある夕刊を使った。父は犬が小さいときだけ可愛がった重罪人だ。ろくに世話をしていないので勝手がわかっていない。母の真似をして世話をした気になっている。無知は罪だ。

後悔しても後の祭りだ。どうしようもない。猿は犬に小便をかけられてしまった。おしまいだ。私は犬が嫌いだ。家族で犬を飼うことに反対した唯一の人間だ。犬なんてのは餌を食って糞をして鳴きわめくだけの畜生だ。何事もなかったかのように廊下をふさぐように寝そべっている。

私は犬をけとばした。