母はしばしば妹についての愚痴をこぼす

母はしばしば妹についての愚痴をこぼす。今晩聞いたのは、今朝の出来事らしかった。

今朝、妹は唐突に宣言した。「今日は体育祭だ」と。母はもちろん「聞いていない」と反論した。まあ正常な反応だが、状況にはあっていない。さらに、妹はこう続ける。「体操着がない!ゼッケンを付けなければいけないのに!」実際はこんな風にすっきりとした発言ではない。だらだらと普段の不満を間に挟んである感情的なものだ。やかましい携帯の着信と、ズンズンと鳴るステレオの音とに負けないよう、その場に居る者すべてが声を張り上げている、いわば音のスクランブル交差点でのやりとりだ。

そう、母の愚痴は「今朝、交差点に一台の馬鹿な車が突っ込んだ」というものだった。だからといって驚くことでもない。というのは、それは我が家では、さほど特別な出来事ではないからだ。

母は五分程度、妹に対する悪口を言ったあと、続きを話してくれた。

母は体操着を探した。しかし、妹のそれは見つからなかった。かわりに、あろうことか、妹の友人の体操着が二着見つかった。妹には、それを着せ、ゼッケンのために裁縫道具を渡した。縫わずに道具を渡したのは、妹が「どうせ縫ってくれないんやろ!自分で縫う!」などと騒いだからだ。

私は体操着のくだりで吹き出しそうになった。ところが母は、それだけでは終わらないと言う。

洗濯物を干し、縫い上がった妹の体操着を見て、母は絶句した。赤いゼッケンからは、白い糸が伸びている。さらには、左上の角から縫いはじめられた糸が、そのまま右上の角、右下の角、左下の角と続けて縫われている。色はまあ良いとして、縫い方は最悪だ。これでは、長辺に伸びた糸のどれか一つでも切れてしまえば、すべて、ほつれてしまう。

私は吹き出した。我が妹とは言え、頭が悪すぎる。四つの角をそれぞれ一回ずつの計四回で縫えば良いものを、四つの角を通るように一回で縫うなど、非常識すぎる。すべての辺をコツコツと縫っていて完成していないのなら、まだ可愛げがあるが、縫ってあるのは角だけだ。ただの横着である。どうしようもない。

妹は、母の静止も聞かず、体操着を着た。すぐにその意味を悟っただろう。なんせ、着た時点で、長辺の糸が千切れてしまったのだから。「もういい!」と投げた。体操着は母がすべて縫った。妹はそれを着て、散々、悪態をつきながら出かけたらしい。

母の話から光景が目に浮かぶ。妹ならやりかねん。今回の事故を引き起こした妹は「十二月から自炊をはじめる」とも宣言している。せいぜい頑張ってほしいものだ。私は母と妹のいさかいに首を突っ込む気がまったくない。愚痴は面白くなければ聞き流す。