昔のゲームは良かった!今の良し悪しは関係ない!

「昔のゲームは良かった」と「昔のゲームは良い」の、悲しい断絶 - 世界の果ての崖っぷちで

要約

クロノクロスを、昔は良かったと思っていた。
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最近、プレイ動画を見て、今なら遊べないなと思った。
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昔は楽しめたけど、今は楽しめないゲームはたくさんある。
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「昔のゲームは良かった」というネット上での書き込みに対して、
「今でも遊べるか」「今でも良いと言えるか」と問いたい。
「昔のゲームだと割り切って『良い』と評価するのは我慢ではないか」
  →そんな我慢でしか良いと言えないなら悲しい

「昔のゲームは良かった」で挙げられるゲームに対して、「今」という文脈で戦えという考え方に違和感がある。というのは、そのゲームは「昔」という文脈では間違いなく「良かった」わけで、その事実は揺がない。たとえ「今」という文脈では良くなかったとしても、それが「昔のゲームは良くない」という結論に至ることはない。少なくとも当時は、それが良かった、それで十分ではないか。

なぜ、「昔」という戦場で活躍したゲームを、「今」という戦場で活躍させる必要があるのか。ゲームを「弓矢」なんかで置き換えれば分かるはずだ。弓矢は「今」の戦場で活躍できないだろう。じゃあ、弓矢は「昔」の戦場で活躍できなかったか。違うはずだ。昔は弓矢は評価された。その評価が、今使えないからという理由で下げられるだろうか。私は、そんなことはないと思う。

「昔のゲームであるから仕方がない」という割り切りで「良い」と評価することを、「我慢」という一言で切るのは、間違っていると思う。

もし、昔のゲームを「昔」を踏まえて遊んだ上で、良いと言えなくなっているとすれば、それは自分自身の(状況や精神構造の)変化であって、どうしようもない。その変化を悲しく思う気持ちは分からないではない。ただ、それらの変化を、思い出を捨てること・「昔のゲームは良くない」という評価、に繋げるべきでない、と私は断言できる。