内定式

割と古い考え方を持った企業に私は内定したのかもしれない。そんな風に思ったのは内定式をきっちり10月1日にしていたからだ。2008年の10月1日は水曜日で平日だ。

前にも懇親会に参加した。そのときは正直なところ「もう働きたくない」と思った。働きはじめたら会話が成立しないんじゃないかと思ったからだ。

私がそんな風に感じたのは、自己紹介で彼らの挙げた趣味からだ。彼らが挙げたのは釣りやゴルフだった。いかにも社会人という趣味だ、私は思う。私の中での釣りと言えば反応を誘うものだし、ゴルフに至ってはパーがどうとかしか知らない。パーはグーに強くチーに弱い。チーと言えば麻雀を挙げているのも居た。「麻雀はスポーツだ」などと宣言する私の友人を思い出させた。ポンがどうとか言うんだっけか。社会人どもは運に任せた勝負(ジャンケン)が好きなのかもしれない。

そんな懇親会に比べると今回の内定式は楽しかった。

式自体はよくあるものだと思う。証書を受け取り食事を食べて自己紹介をして社員や同期と話す。

「内定式は真面目に……」そんな記事を読み「そういうものなのか」と思った私は堅い自己紹介を考えた。前回のこともあったし今度こそはと気合いを入れた。ふたを開けてみれば堅い自己紹介をしているやつなんて一人も居ない。まるで NSC だ。ほとんど漫談だ。

それは会社にとっては不測の事態だったかもしれない。しかし私には好印象を与えた。式が気張った堅いものであることによって生まれる会社の威厳などよりは、式が気張らずやわらかであることによって生まれる居心地の良さの方が重要だと私は思うからだ。

内定式やその後の二次会への流れなどから察するに彼らは能動的でない。私と同様にだ。あの漫談のような流れは一部の誰かがつくったものだ。誰かがつくった流れに彼らは便乗したのだ。二次会への参加も誰か言い出すを様子見する様が目立った。皆が一様にあたりをうかがう様は内心おかしくてたまらなかった。もちろん私はその状況を打開するための声を挙げなかった。彼らと同様にだ。能動的に動く一部の誰かによって偶然にも二次会は実現された。私はそれに便乗した。

働き出せば分かる。きっと優秀なのは彼らの一部だ。それに多数の人間が引かれていくのだ。私は引かれていく人間の一人だ。会社という集団はこういうものなのかもしれない。私はよく知らない。入社すれば変わるのだろうか。変わらないような気がする。底上げはあるかもしれない。仕事をする上で問題ないところまでは底上げしようとするに違いない。でも結局は変わらない。一部の上が多数の下を引くのだ。

慣れない酒を飲みながらスーツを着た私は思った。