洗濯

母はまたどこかへ行ってしまった。だから、私が洗濯をすることになった。いや、した。

恥ずかしいことだが、私は今日の今日まで洗濯というものをしたことがなかった。もちろん、これは私がいつも同じ服を着ているということではない。着ていた服を洗濯カゴに入れれば、綺麗になって、棚に戻る。それをあたかも、雨が川を作り海へ流れ、また雨になって戻ってくるような、そんなサイクルと同じで、ありふれた自然なものだと感じていたということだ。つまるところ、私は、洗濯さえできない半人前だったのである。

いつまでも半人前ではいけない、その理由はよくわからない。しかし、世間では一人前にならなければいけないという風潮がある。だから、私は洗濯をすることにした。

いざやってみると、ひどく簡単なものだった。世間が求める一人前というのは、なるほどこの程度なのかと思った。洗濯機にほうりこんで、ボタンを押す。極端な話それだけのことだ。昔は板をどうとかというのを、教科書かなにかで見たが、今日び、そこまでできて一人前とは言わないだろう。

脱水までを終えて、重たくなった衣類を、だらだらとベランダに干した。母しかはかない幅のせまいサンダルをはいた。日差しが強く、夏だった。

足の裏の土を払い、いつものイスに座る。これで一人前なら安いものだと思った。いかにも形ばかりだとも思った。お茶を飲んだ。「仕事のあとの一杯」になるのか、なんて考えた。「大人と子どもの境界線は二十回目の誕生日だ」そんな考えは捨てたつもりだったけれど、やはり私はまだ子どものようである。