老婆

急な出費で、財布が空になった。お金は余裕であり、可能性である。10円では駄菓子くらいしか買えないが、100円あれば色々なものが買える。1000円あれば、100円の10倍以上のものが買える。お金は可能性だ。贅沢するには財布だけじゃ足りないと、誰かが歌っていたが、逆に言えば、財布がないとお話にならないのだ。とにかく財布が空になってしまった私は、貯金を引き出すためにATMに並んだ。

並んだ。前に立ったのでなく、横に並んだ。それというのは、前には私でない誰かが立っていたからだ。ちらちらと見える影からは、老婆のようだ。足元しか見えないが、かばんと靴の様子から、おそらく老婆だろうと思った。老婆は操作がおぼつかないのか、パネルに触れたときになる電子音が聞こえない。文字を読んでいるのかもしれない。老婆は皆こんな風に、すぐまわりが見えなくなってしまうのだろうか。

ふと見ると、私の後ろにも四人も並んでいる。順番待ちだ。一台のATMには多すぎる。かといって、普段、そんなに混むような時間帯でもない。確実に私の前で、なにかをしている老婆のせいだった。しかし、だからといって、どうすることもできない。ただ待つだけだ。私には、とにかく可能性が必要なのだ。

「順番待ち」という言葉から、今日のことが思い出された。

昼、私と友人三人はコンビニに買い物に行った。友人のうち、一人は何も買わなかったが、私はお茶を、一人はチョコレートを、一人はなにやら色々と買った。私は普段、コンビニには入らない。特にそんな風に混雑したコンビニには入ったことがない。昼どきでガヤガヤとしていた。狭い店内に、人がたくさん居た。なんとなく息苦しい感じがした。私はさっさとペットボトルのお茶を手に取ると、レジに向かった。出口に近い側のレジだ。私の前に女性が居たが、ちょうど会計が終わり、レジを離れたところだった。ああ、良いタイミングだな、とそこで会計を済ませて、店を出た。

あとで聞いたことには、あれには長い順番待ちがあったらしい。二つのレジに対して一つの列を作って、空いたほうのレジに次の人が向かう、そんな仕組みらしい。そんなことは知らなかったし、ちっとも気づいていなかった。なるほど、どおりで混雑しているのに、すぐにレジにつけたわけだ。私は知らぬ間に割り込みをしていた。真面目に並んでいる人を知らぬ間に抜かし、真面目に並んでいる人を知らぬ間に裏切って、私は早い会計を得た。私の知らないところで、私に対する憎悪が生まれたかもしれない。

私には、まわりが見えなかった。二つのレジがあって、それに一つの列を、それも正面にではなく、出口から遠い側に作るとは知らなかった。知らなければ許されるというものではない、確かにそれで損をした人が居るのだ。ただ、今となってはもうどうしようもない。

汚い感情が生まれた。

私はそこで誰かに恨まれようとも、その場きりだ。真に失うものなどなにもない。得ばかりだ。それはまるで、エスカレータで中央に立つ老婆のように、のんびりと操作を確認する老婆のように。この考えかたのほうががずっと楽でずっと良いように思えた。

私は、そんな、老婆から生まれた二十代の老婆なのかもしれない。醜く、恨まれ、蔑まれるべきものなのかもしれない。私は老婆を心の中で罵倒した。